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発達障害が判明するまで辛く苦しかった娘の幼児期

この記事は30代の女性に書いていただきました。

………

 娘の発達障害が判明したのは今から6年前。6歳の幼児期の頃でした。現在よりもまだまだ「発達障害」という言葉が浸透し始めたばかりの頃で、閉塞的な地域に住む私達親子は、差別や偏見も大いに受けました。

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1.そもそも発達障害なんて知らなかった

 予測もつかない原因で狂ったように泣きわめく毎日。ある時は”ペットボトルの蓋を他の人が締めたから”、ある時は”お友達が呼びかけに応えなかったから”…根気強く「大丈夫だよ」「意地悪されたわけじゃないよ」と諭し続けていました。

 幼稚園でのお片付けの時間にも一人で遊び続け、お遊戯のお披露目会では常に泣き叫んで先生に抱っこされている子どもでした。同じクラスのお母さん達が、我が子の成長を「かわいい!」と喜んでいる時に(幼児期が一番かわいいですから)、同じように感動を味わえないことに劣等感さえ覚えていました。

「なんか他の子とちょっと違うな…」
「育てにくいな…」
「私の育て方が悪いのかもしれない」

 母親である私が甘やかしすぎているのではないかと夫にも責められ、私自身も自分を責め立て、幾度繰り返しても「できない」娘に叱咤を繰り返し…私と娘はギスギスとした関係になりながら、毎日をいっぱいいっぱいで過ごしていたのです。

 なんとか救いはないものかと、藁をも掴む思いでネットを検索していた時に知ったのが、「アスペルガー症候群」という発達障害でした。

2.一縷の望みをかけて発達障害者支援センターに

 「教えてもいないのにどんどん覚えてしまう読み書き」や、「興味のある事項に対しての異常な記憶力」に比較して、どうしても欠けている「他人の気持ちを察する能力」というアンバランスさに「これだ」と思った私は、すぐに発達障害支援センターに相談し、WISCという知能検査を幼児期に受けさせてもらいました。

 結果は「能力に大きな偏りが見られる」ということで、自閉症スペクトラム障害の可能性を告げられました。その瞬間にとてもホッとしたことを覚えています。

「誰のせいでもなかった」

 自罰的な気持ちがほぐれ、「できないことはできないんだ」と自分も娘も受け入れられるようになり始めたのはその頃からです。それからは幼稚園や小学校などの教育機関と二人三脚で、娘が「人よりちょっと苦手なこと」を支援する体制を整えていきました。

3.乗り越えなければいけない壁

 親しい親族や友人に相談する度に、「そんな風には見えない」「そんなことは誰にでもあること」「幼児期はこんなもんだよ」など、慰めの意味で「大丈夫なんじゃないか」と声をかけられることはたくさんありました。

 幼稚園でも「まったく気が付かなかった」と言われるほどで、幼稚園では知能障害か言語障害の子が支援対象のメインとなっており、自閉傾向のある子でも知能障害及び言語障害に難が見られない場合、ほとんどが定型発達児と同じ課題を要求されていました。今思えば、それが彼女にどれだけの負担になっていたのかよくわかります。

 「診断の方がおかしいのではないか」と娘の発達障害を受け入れられない夫の気持ちにも同調できました。私自身も「娘は本当に発達障害なのか?もしかしたら大人の価値観を押し付けているだけなのでは?」と、ずっと揺れ続けていたことを覚えています。

 「頑張ればできることを、頑張らせないことは”甘やかし”なのでは」という思いから、なんとか人の輪に混じるようにと、強制を続けていた時期もありました。今振り返って見れば、「多くの人が頑張らなくてもできること」を、「頑張らなければできない子」に押し付けている段階で、社会に存在する段差にスロープを付けようとする行為を怠っていたのだということがまざまざと分かります。辛く苦しかった生活を送らせてしまったと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいです。

4.大切なのは娘自身が訴える「生き辛さ」

 「発達障害の診断の真偽はどうでもいい。大切なのは娘がどう感じているか」と思えるようになったのは、それからずっと後のことでした。同学年の子たちと徐々に開いていく「苦手な能力」は、円滑なコミュニケーションを築く上での障害となり、娘は孤立し、集団生活に対する意欲を失っていきました。

 「学校」というシステムが、いまだに「集団に属せない者」へ与える大きな影響については、この記事を読んでくださっている皆さんの方がよくご存知なのではないかと思います。そこに必要になるのが「支援」であると思いますし、不足している部分を補ってあげようとする援助は、けして甘やかしでもなんでもない、平等のための行為だと思うのです。幸いにして、ソーシャルスキルトレーニングを中心とした通級に通うことができた彼女は、必要な支援を受け、理解ある居場所を確保し、笑顔を増やしていくことができました。

 今となっては、「みんなと同じようにできない娘に劣等感を覚えていた自分自身」のことをとても恥じていますし、大人たちが繰り返し娘に要求してきた課題に、きちんと「私はそれを行うことができない」と訴え続けてくれた娘に敬意を覚えています。誰と比べることなく、彼女が彼女なりに社会に挑んでいく様を、私は誰よりも側で応援してあげたいと思うのです。

[参考記事]
「自閉症スペクトラムの特徴とは」

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