この記事は40代の女性に書いていただきました。
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私は、カサンドラ症候群からパニック障害を発症し、子どもを連れて離婚するに至りました。私がカサンドラ症候群という言葉をはじめて聞いたのは、子どものことを相談していた小学校のスクールカウンセラーさんの口からでした。
子どもたちの発達障害と夫の発達障害の疑い
私には二人の息子がおり、長男は小学校一年生の時にアスペルガー症候群とADHDの診断を受けました。次男も、早くからボーダーといわれ、小学生になると同時に広汎性発達障害とADHDの診断を受けました。
長男が四年生のころから学校にスクールカウンセラーが巡回してくることになり、家族構成、幼少期の話をするうちに、スクールカウンセラーの先生から、「お話を伺う限り、お父さんも疑いがありますね」と言われました。
元夫の発達障害を疑う顕著な行動としては、自分の予定が人によって狂うことを極端に嫌がり、子どもたちがぐずったり風邪をひいたりして自分の予定が思い通りに行かないことにキレるということでした。
2歳近くなって自我の出てきた子どもたち、今思えば定型発達の子どもでもイヤイヤと泣いたりすることはいくらでもあるころですが、長男は特にパニック泣きすることがあり、それに対して、罵声を浴びせられながら一時間以上説教する、という日々が続いていました。
そのようなパートナーの行動を聞いたスクールカウンセラーは「お母さん、カサンドラ症候群を知ってますか」と言ってきました。
カサンドラ症候群に陥っていたことに気づかされた
教えてもらった単語をインターネットで調べてみると、発達障害者のパートナーが精神的にまいってしまう、というものでした。パートナーと発達障害者との間で共感や愛情表現などの意思の疎通ができないためです。
実際、子どもの困りごとを夫に話してもわかってもらえず、共感してもらえないどころか、お前のしつけが悪いんだろうと言われたりするうち、いつしか自分が思っていることや感じていることを夫に話すことがなくなってきました。
体に現れてきた不調
私は、夫が子どもたちに怒鳴るのがかわいそうで、夫を怒らせないようにと先回りして、機嫌が悪そうだと思えば、静かに遊べる遊びを提案したり、夫が休みの日には怒られそうな言動をしないように神経を張り詰めて子どもたちを観察し、ぐずったり泣いたりがないようにと行動していました。
そんなある日、私は息ができなくなってしまいました。息はしているのだけれど苦しいのです。それがどうやらパニック障害の発作に似ているということを知り、心療内科に行くことにしました。
これまでの経緯をまとめた紙を読んで、先生は開口一番、今までよく耐えてきましたね、夫さんと離れて暮らすことは考えないのですか?と言ってくれました。子どもたちが環境の変化に弱い発達障害の性質があることから、それは全く考えていなかったのですが、そういう考えを持ってもおかしくない状況だな、という思いを持つようになりました。
共感してもらうことの大切さ
そこからは、自分がつらいと思っているのが悪いことではない、という確証を得たくて、今まで一人で抱えてきた夫のことを、友人や知り合いにも話しをしてみたところ、私ならとっくに家を出てる!という肯定的な反応をもらえました。
スクールカウンセラーの先生には、これからもずっとその家にいたら、お母さんの命が危ない、とまで言ってもらい、ああ、ひとりでつらい思いをしていなくてもよかったのだ、と、離婚を決意し、子どもたちを連れて実家に帰りました。
幸いにも実家が遠方だったこともあり、ばったり会ってしまうこともなく、パニック障害の発作も出ず、薬も減ってきました。
夫の機嫌をうかがわずに暮らせるという生活はとても快適で、子どもたちも伸び伸びとして、いい意味で、子どもらしくなってきました。子どもたちの発達障害との付き合いは終わりませんが、自分のためにも子どもたちのためにも、この離婚は正解であったと思えるように生きているところです。
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