この記事は自閉症のお子さんを育てている30代の女性に書いていただきました。
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息子の自閉症の診断の様子
息子が「高機能自閉症」と診断が下ったときは幼稚園生でしたが、私はそれほど深刻には考えていませんでした。一歳前後で発語があり、運動機能の発達もほぼ順調、手先は器用すぎるくらいで、パニックもなし。よく見るDVDなどのセリフは全て完璧にそらんじていましたし、人まねも上手かったので「こうするんだよ」とやってみせると難なくこなしていました。自閉症について書籍などで調べていたので、「息子はもしかしたら天才タイプかもしれない」と思ってしまったのです。
ただ一つだけ、自閉症の特徴でもある言葉や気持ちのやり取りが難しく、赤ちゃんにもあるような「他人と意思疎通をしたいという欲求」が全く感じられない子でした。ここでも書籍から得た情報をもとに、家庭学習で、ある程度教えられることを知り、一つ一つ教えて積み上げていけばいいのだと簡単に考えていました。そして、いざ家庭で教えていくと、学校の勉強はどんどんできるようになる一方、他人とのやりとりは簡単なことでもできず、ここが自閉症の療育の難しいところなのだなと感じるようになりました。
もっと現状を直視するべきだった幼稚園時代
幼稚園の年長になり、就学を迎える頃、息子には知的障害があるのではないか、もっと簡単なことを繰り返しやらせて自信をつけさせていったほうがいいのではないかと思うようになりました。それでも、家庭学習やDVDなどで小学一年生でやる内容は難なくマスターしてしまい、むしろ楽しんでやっているようにも見え、きっと大丈夫だろうと何の根拠もなく考えてしまいました。
就学前には知能テストを受けました。このとき、息子は嫌がってトイレにこもったまま出てこなかったので、結局「測定不能」という結果をいただきました。この測定不能ということがどういう状態なのか深く考えることもせず、「勉強ができているからいいか」と簡単に考えてしまいました。周囲の人に聞いても、「自閉症の子はそんなものだよ」と言われ、知的にどういう状態なのか、何が分かっていて、どこでつまずいているのか、もっと掘り下げて調べていけるチャンスをみすみす逃してしまったのです。
心理的負担が増え、自傷が始まった小学校時代
小学校は、最大限能力を発揮できるようにと普通級を選択しました。一年生の勉強は習得済みだったので、はじめは「ちょっと変な子だけど勉強ができる子」と評価してもらいましたが、やはり集団行動では個別に何度も指示を出さないと動けず、そのストレスから蕁麻疹が出てくるようになりました。その心理的なストレスも考慮して途中から支援級に移してもらいました。この時、知的障害はあるだろうと確信はしていたのですが、どの程度なのか、具体的にどの分野が強くてどの分野が弱いのか全く分からず、支援する側も手探りの状態でその場限りの対応が続くようになってしまいました。
学校というところは特別な行事も多く、この行事を無難にこなすというのが障害がある子たちにとって最大の壁であり、親にとっても悩ましいことではありました。ここではうちの子は、「できる子」という評価だったので、本人の能力をはるかに超えたことをパターン化して教えてもらい、何度も何度も練習するという毎日でした。例えば、運動会の表現(ダンス等)の種目やパレードの隊列を組みながらの演奏などを、普通級の子たちと同じ内容でやりました。
この頃から今までなかった「自傷行為」をするようになり、額やあごを自分の膝に強く打ち付けるようになりました。小学六年生になって、自傷行為もエスカレートするようになり、知能テストを受けてみたところ、「重度の一歩手前」という結果をいただきました。これを受けて、ずいぶん難しいことを、抵抗しないからといってやらせてしまったなという申し訳ない気持ちになりました。例えば算数の計算問題ができるからといって、桁数の多い掛け算問題などを大量に毎日やらせていたこともありました。たかが知能テスト、一喜一憂するべきではないと言われますが、やはり子どもの状態や効果的な支援などを知るには大切な検査だなと改めて実感しています。
「自閉症」というと天才をイメージしがちですが、そんな人たちはほんの一握り。もっと息子の現状に向き合って、少しでも環境を整えてあげることができたら蕁麻疹や自傷行為も起こらなかったと深く反省しています。
[参考記事]
「自閉症の特徴と兆候について」
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