この記事は50歳の女性に書いていただきました。発達障害の性質により仕事で怒られ、二次障害によるパニック障害を起こしてしまいました。
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私の子供の頃は発達障害という言葉はなく、私はただ「変わった子」として扱われておりました。母から聞いた話では、歴代の担任の先生から、「脳の精密検査を受けるように」と言われてたそうです。
その指示に従い検査してもらったそうなのですが、これと言って異常なし。「この子は変ってるけどこんな子です。」とのことだったそうです。
私自身そのころの記憶をたどると、
〇忘れ物が異常に多かった。
〇ドッチボール・かくれんぼなどの集団の遊びが苦手。一人遊びが多かった。
〇お絵かきが好きだったのですが、ハマると同じ絵を何枚も描き続けていました。私的には少しずつ違った別の絵なのですが、他の方からは全て同じに見え、間違い探しのような絵だったようです。
〇算数・・・基本計算が苦手で、繰り上がりと繰り下がりがよく理解できず、机の下で指を折りながら計算してました。
小学生の高学年からイジメに合うようになりました。何をしても攻撃受けました。暴力とかはなく、言葉や態度によるもの。内容は一般的なケンカ程度のものですが、「自己否定の意識」や「自分はどこか他の人と違う」を深く抱いてしまった私はどんどん孤立して、その様子がまたイジメの標的としては格好の餌食だったのでしょう。
高校生くらいの大人になってからはイジメは収まりましたが、「自分はどこか他の人と違う」はその後数十年持ち続けていました。
社会人になってからの苦労
社会人になってからも色々、苦労しました。
〇仕事の理解が遅い。
〇二つの事をいっぺんに出来ない。
〇異常に丁寧。
幼少期から怒られ続けて大人になると、常に世の中は怖い存在です。全力でやる→丁寧すぎる→仕事が遅い→怒られる→頑張って急ぐ→ミス連発→また怒られる→頑張る→適当に普通にやれと言われる→適当・普通が良くわからない→パニックになる→自己嫌悪。こんなパターンを繰り返してました。
こんな状況でしたので、その頃はかなりの頻度で、歯が抜け落ちる夢を見ていました。しばらくしてから、動悸が激しくなるなどのパニック障害を発症して休職していましたが、毎日パソコンを眺めいてた時、「発達障害」という言葉を見つけました。
内容は私の幼少の頃の記憶にピッタリ当てはまり、私の人生の生きにくさの原因はこれではないかと思いました。パニック障害が発達障害の二次障害であることも分かりました。
発達障害の治療へ
パニック障害の治療を始めて、病院の待合室にいることがとにかく辛かったのを覚えています。その頃から折り紙を病院に持ち込みカサカサ折るようになりました。今までのうっ憤を晴らすかのように折り続けて、いつの間にかかなりマニアな作品まで作れるようになっていたのです。
作品が溜まってくるので、心療内科の先生のところに全部持って行ってました。一部診察室にも飾ってくださいました。ある診察日に「先生、私って発達障害が原因で、折り紙にここまで異常にハマってしまったのかな?」と聞いてみたら、「可能性はあるねえ。発達障害の特性である「こだわり」の一種だよ。でも、今以上特別に治療の必要はないかな。」といった返事でした。
後日発達障害の検査を受けましたが「ボーダー」の診断いただきました。診断を受けてスッキリはしたのですが、二次障害のパニック障害の治療が続きました。
「発達障害」は治るもんじゃない。使いこなすもの
診断を受けてから腑に落ちたのが、パニック障害も収まり、薬の量がドンドン減ってきました。安定剤、抗うつ剤、入眠剤を処方してもらっていますが、止められる日は近いかもしれません。
今は会社を辞めて、折り紙講師の活動をしてます。こちらの活動はたくさんの方とお話が出来て楽しくやってます。これだけでは経済時に難しいので、バイトもやってるのですが、こちらは正直状況が厳しいです。「マニュアルの通り」というのが難しい。マニュアル通りにやると遅くなるのですが、「真面目すぎる。普通にやって」って言われています。「普通」が理解できないのは以前と同じですが、多分一生分からないでしょう。かつて「普通」って言われたら、「自分が普通じゃない」って思ってましたが、今は「普通って、サボってるだけやん」って思ってます。無理をするとまた二次障害によるパニック障害がぶり返すので、ある程度の適当さを身につけていっています。
まとめ
「発達障害」のボーダーは仕事でも苦労しますが、多少世間とも合わせていけるので、行政からの保護を期待することが出来ないという辛い一面があります。
かつては「発達障害」という言葉がなかった頃は、私の個性は無きものと扱われて苦しい思いをしましたが、今は「発達障害」という状況にたくさんの方が向き合って状況が変わってくのを感じてます。
今、ホーダーとして出来ることは、今の自分の状況をより皆さんに知っていただき、どんな工夫で快適に生きやすくなるのかの情報のシェアが大切なのではと考えています。次の世代で私程度の症状は「素敵な個性」の持ち主として存分に個性の表現が出来る世の中になっていてほしい。
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