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アスペルガー症候群と診断された私の学生時代。リストカットも

 

 今回の記事は30代の女性に書いていただきました。彼女がアスペルガー症候群と診断された経緯は「母と子供が同時にアスペルガー症候群、ADHDと診断される」に書きました。
 発達障害の方は学生時代、辛い経験を持っている人が多く、この女性も同じです。そこで小学生、中学生、高校生時代はどのように過ごされてきたのかを書いていただきました。
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小学生時代

 この頃は、まだ自分が変わってるとは思ってなかったです(もちろん、発達障害という言葉は聞いたことがありません)。しかし、理由は分からないですが、常に死をイメージしていました(そのせいで高校生の時にリストカットを繰り返しています)。交通事故で亡くなったというニュースを見ると「いいなー」と思ってしまうほどですから、何かに取り憑かれているかのようでしたね。

 お勉強に関しては、ものすごく嫌いでした。嫌いと言うか「分からないところが分からない」と言う感じです。覚えることが苦手で、かけ算や割り算を覚えるのに、人一倍時間がかかりました。もちろん、歴史等は覚えることが全く出来ませんでした。

 運動に関しては抜群の運動神経でした。かけっこ、縄跳び、跳び箱、マット運動などすべてできました。ただ唯一長距離が苦手でした。

 お友達づきあいに関しては、小学校低学年までは苦痛なく過ごせました。しかし、高学年になると友達と遊んだりするのが嫌になって、遊ぶ約束しても、急遽断ったりしてました。今でも人と関わることは苦手で、子供の学校の行事など必要最低限の関わり方しかしていません。アスペルガー症候群の性質により、コミュニケーションが大人になっても苦手です。

 友達づきあいが上手くいかなくなったときからワープロが欲しくなり、お願いしたら買ってもらうことになりました。そこで自分なりに文章作成したり、はがきを作ったり色々遊んでました。つまり、友達がいなかったので、ワープロで遊ぶしかなかったのが現実です。

中学生時代

 この時期が1番苦労しました。何に苦労したかと言うと小学校の時と同じ友達づきあいですが、小学生以上に辛かったです。何を話したらいいのか分からないし、お友達と2人きりになるとシーンとした間が気になり、とにかく話し続けてました。お友達の秘密の情報まで何でも話してしまう始末で、結局どんどんお友達から嫌な顔をされて、なかなか仲のいいお友達は作れなかったです。正直に何でも言葉にしてしまうのもアスペルガー症候群の性質です。

 中学生ともなると修学旅行という一大イベントがあります。お友達と一緒にお買い物したりして楽しくしているのが普通ですが、私は友達がいないせいで、どこに行くにも一人で行動していました。この経験はトラウマになるほど悲惨な経験で、今でも記憶に残っています。

 勉強の方は小学生時代と同じで、授業は全然わかりません。テスト前になって勉強しようとしても何を勉強したらいいのかわからない状態で、結局何もしないでそのままテストを受けていました。それせいで、点数はいつも一ケタ代でした。

 部活はテニス部に入りましたが、みんなの輪に入れないせいで結局辞めてしまいました。小学生の時は運動が得意で好きだったのに、友達がいないせいで、結局は帰宅部。

高校生時代

 高校生になってあの地獄が嘘のように楽しかったです。もちろん、公立校の受験は落ちてしまいましたが、偏差値の低い私立高校になんとか合格しました。この高校はお勉強の出来ない人やお勉強をしたくない人の集まりだから、私のバカが目立つこともなく快適でした。

 お友達作りも1からだけど、こんな自分でも受け入れてくれる人が数人いて、部活も一生懸命3年間続けました。運動神経は小学校時代から全く鈍ってなかったのです。部活に明け暮れる毎日でとても充実してました。

 ある時、仲の良かったお友達が自傷行為の傷を見せてくれましたが、すごく新鮮で憧れるようになりました。ちょっと私もやってみようかなっと思いリストカットのマネごとをしましたが、今でもその傷は残ってます。小学生時代に「常に死をイメージしていました」と書きましたが、その思いは高校生時代にも残っていました。今では痛くて出来ませんが(笑)

 高校時代の中でただ1つ問題が発生しました。それは、運転免許の筆記テストです。すごく簡単なテストだと思いますが、私にとっては乗り越えられるか分からないくらいの事でした。実技は、普通に合格したけど、筆記テストが受からないのです。何を覚えればいいのか分からないし、どこの問題をお勉強すればいいのか分からない。結局筆記試験は、2度も落ちてやっと免許証を頂きました。

社会人

 社会人1年目に彼氏が出来ました。人と付き合うのが苦手な私なんですが、不思議とモテモテのモテ期でした。でも、付き合ううちに相手はいつも「〇〇ちゃんさ、ちょっと重いよ」と言って去っていくのが常でした。付き合うと、ものすごく彼氏に依存し、いつも一緒にいないと苦しいと思っていました。「〇〇君と絶対に結婚する」とか「〇〇君のいない人生だったら死んだ方がまし」と言っていた記憶があります。

 そして、発達障害が理由か私には分かりませんでしたが、3人目の彼氏に振られてから7年間、以下の病気に悩まされました。
〇パニック障害
〇鬱病
 病院の先生はこの症状が発達障害の二次障害に当たると言われました。パニック障害の時は、精神科医に行きカウンセリングを受けてましたが、病気にかかってからの2年間はほとんど記憶がありません(記憶障害は薬の副作用せいだと私は思っています)。

 それから少しずつ記憶が戻りましたが、それからが地獄でした。幻聴・幻覚・歩行障害等苦しめられました。普通に歩きたい・普通にお仕事したいなど普通に生活したいのに出来ない自分が情けない。でも、周りからはだらしない、しっかりしなさい、頑張りなさいと毎日毎日言われてました。この時にはまた、死にたい(リストカットしたい)という願望が蘇ってきて、本当に辛い時期でした。今は旦那と子供がいて、幸せを感じていますが、以上のような辛い経験をしてきたから今があると感じています。

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