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親が私の発達障害の診断に怒り、医師に抗議。毒親の実態

この記事は発達障害の大学生の女性に書いていただきました。

「親が発達障害(アスペルガー)を認めてくれず、うつ病に」

「私が受けた発達障害の診断方法は2つ(問診とWAIS検査)」

の続編です。

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 これまでアスペルガーが原因で誤解やトラブルを招き、散々な目に遭ってきました。まず高校では何となく周囲から浮いた存在で、それを自覚するたびに何度も逃げ出したい気持ちに駆られました(しかし、小・中学校で遭ったいじめよりは遥かにマシでした)。

 大学生になって心機一転したと思ったのも束の間、バイト先ではトラブルメーカーに。一向に仕事が覚えられなかったので、俗に言う「使えないやつ」だったと思います。

 加えて、空気が読めなかったり、相手の気持ちを推し量れなかったりするため、人間関係は険悪でした。怒られていてもなぜ怒られているか分からず、もっと怒らせてしまったり、「言葉遣いや態度がなってない」と叱責ばかり。最終的には仕事のできなさと相まって、たった2ヶ月で解雇されしまいます。このときはひどく落ち込みました(ちなみに発達障害が判明したのは解雇後です)。

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大学での人間関係

 大学での人間関係も最悪でした。特にサークル活動ではバイト先と同様、人間関係は訳も分からないまま険悪な状態を生み出してしまい、罵詈雑言を浴びせられていました。活動中も些細なミスを連発して信用を失い、厄介者扱いです。

 そのように上手くいかないサークル活動でしたが、当時は「自分で入ることを決めたのだから頑張ろう」と必死になって挽回しようとしていましたが結局上手くいかず、冷酷な周囲にも、できない自分にも絶望し、辞めることを決意。このときも「自分はなんて無能なんだろう」と自責の念にかられました。

一番の問題は親の態度

 ただ私を一番鬱にさせたのは親の態度です。発達障害の診断が下ったときのことですが、私の親はまず医者に抗議しに行き、「この子は発達障害ではありません」と診断を断固拒否。一旦は医者の説得により納得したものの「もう知らない。勝手にして。」と冷遇されました。

 その後もずっと発達障害の診断に対して懐疑的で、「専門の病院で検査してもらえ。」との一点張り。そして私がなぜ診断を拒否するのか問うと、「普通の子供がいいから。」とのこと。このとき私は、エゴイストな毒親の元に生まれたことを悟り、絶望しましたが、同時に「こんな親を大事にする必要もない。」と割り切った考えを持ち始めました。

今は充実した生活

 このように私は診断をもらう前後で紆余曲折を経てきたのですが、現在は充実した生活を送れています。当時は精神的に追い詰められ、ストレスで体調を崩したり、自傷行為に走った時期もありましたが、その地獄のような日々から得られたものは大きかったと思います。

 まず、「人との違い」を痛切に感じたことで、出来ることと出来ないことが明確に分かったこと。サークルでは能力の凸凹をたっぷりと自覚させられましたし、人間関係では人の本性も垣間見れたので、簡単に人を信用しなくなり、自立心が育ちました。親の私に対する冷遇も、「自分本位で生きる大切さ」を教えてくれたと思っています。

 今でもアスペルガー症候群が原因で嫌な思いをしたりトラブルが起きたりすることはありますが、過去から学んだ教訓を生かし、乗り越えています。

 その教訓とは、
「得意なことの伸張に徹し、苦手なことには極力取り組まないこと。」
「苦手なことは得意なことで補うこと」
「発達障害を理解してくれる人とのみ親交を深めること」
「他人の視線を気にせず、自分本位で生きること」
です。

 特に「他人の視線を気にせず、自分本位で生きること」は最重要だと思っています。それはなぜか。人間は発達障害があろうがなかろうが「自分のために生きている」と思っているからです。自分の人生は自分のものです。他人の視線に支配されていいものではありません。

 よく発達障害の人は、周囲の無理解や冷遇に押しつぶされそうになり、二次障害を発症することがあります(参考記事「発達障害の「二次障害」とは何か。放置すると大変なことに」)。私もその1人でした。

 しかしそこから抜け出すには前述した「他人を気にせず、自分本位で生きること」が有効だと考えています。そもそも他人の目を気にするのは「他人に大切にされたい。よく思われたい。」という感情が根底にあるからですが、よく考えるとそれはエゴに他なりません。

 それが満たされないなら、自己中心的な発想で生きてもいいのではないか。私はこの考えにより随分と楽になりました。今現在苦しんでいる人も、このように考えを転換することで楽になれるのではないかと思っています。

 もちろん、自己中心的な発想と言っても社会で生きていくうえでは適応能力も必要ですので、自分で自覚している弱点を補うための対策はしますよ(メモを取ったり)。また、自己中心的な発想は他人を傷つけるとか、気にせず道路にゴミを捨てるという意味ではなく、「他人の評価を気にしない」ということですので、お間違えの無いようにお願いします。

 最後になりますが、これを読んでくださっている発達障害の方の気持ちが少しでも軽くなることを祈っています。どうか負けないで下さい。そして自分を大切にしてあげて下さい。幸せはきっと考え次第で掴めると思います。

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