この記事は30代の男性に書いていただきました。発達障害者が子育てをする際に気を付けることを事例を通してお伝えします。
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私は3人兄弟の長男ですが、結婚しているのはその内の1人、次男のAだけです。Aは2歳年上のBさんと結婚しました。30代前半のBさんは、言葉は悪いですが鈍臭く、少しあわてんぼうで、とてもマイペースな人でした。ですが特段変わった点はなく、A一家は2人の子宝にも恵まれました。
きっかけ
次男のAに第2子が生まれた頃、私は郊外へ引っ越しました。それまではAの家から車で10分程度でしたが、引っ越しにより1時間弱も離れて暮らすことになりました。これまではそれとなくBさん(次男の妻)のことをサポートしていたのですが、引っ越し後は関わることがめっきり減っていました。
その頃からBさんに変化が現れました。仕事から帰ってきたAにきつく当たるようになったのです。帰ってくるのが遅い、私は毎日休めない、家のことをお前は何もしていない。こんな内容だったそうです。
しかしAは会社で昇格したばかり、Bさんは専業主婦。同程度に家事や子供の面倒を見ることは不可能でした。だから負担をかけて申し訳ない、土日は休んでいていいとBさんに伝え、なんとか2人で頑張ろうとしていたみたいです。
私たちからのサポートがなくなってから、Bさんは毎日子供2人の面倒を見るだけの日々を送っていたそうです。誰ともかかわらず、言葉も話せない0歳児と1歳児を抱え、Bさんは疲れ切っていました。
そしてそれがある日爆発しました。
事件発生
その日、私は夜勤明けで明け方に終業しました。帰宅途中、携帯電話に着信通知があることに気がつき、確認すると母だったため、すぐに折り返し電話を掛けました。
数コール後、母の口から出てきた言葉に、私は絶句しました。
「今Bさんを引き取りに警察署へ来ている。事情聴取もあるから、今日は何時に帰れるかわからない」
その電話の時点で午前11時前でしたが、結局母が帰ってきたのは午後9時頃でした。
警察からの説明では、Bさんは器物損壊と児童虐待に該当するようなことをしたそうです。育児ノイローゼによるものだったことと被害届がなかったことから、Bさんはそのまま注意だけで帰宅となりました。
事件の翌日、私たちはAに「Bさんと子供たちを心療内科に連れて行こう」と言いました。育児ノイローゼならばケアが必要だと思ったからです。
しかし、思わぬところから待ったがかかりました。Bさんの両親です。
Bさんの父親は言いました。
「うちの娘を精神異常者呼ばわりするのか」
Bさんの母親は言いました。
「みんな育児ノイローゼになる。それは当たり前のことで、大騒ぎしたり病院に行くようなことではない」
この人たちは事の重大さがわかっておらず、保身のためにそう言っているのだと思っていました。
Bさんの親族は反対でしたが、警察からの指導もあったため、事件から5日くらい経ってから私の母とA一家はとある心療内科の玄関をくぐりました。そして医師から告げられた診察結果で、Bさんの両親の頑なな態度の理由が判明しました。
2つの発覚
医師の診察の結果、Bさんは確かに育児ノイローゼでした。しかし問題はそこではなかったのです。
医師がBさんの話を聞いたり、検査をしていくと、Bさんが2つのことを同時にできない、つまり子供2人の面倒を同時に見ることができないことが分かり、発達障害であると結論づけました。
育児ノイローゼはその発達障害の2次障害だったのです。
この言葉を聞いた時、母はBさんの両親が診察を拒んだ理由を察しました。あの拒絶はこの発覚を恐れてのことだったのだと。
そして、Bさんの両親はこのことに気がついていただろうということも。何故ならBさんの父親は元特別支援学校の職員で、母親は元幼稚園の園長だったからです。気がつかないわけがありません。母はそれを医師に伝えました。医師はすぐに両親を呼ぶように言ったそうです。結論から言えば、やはりBさんの両親は気がついていたようです。
しかし「特別支援学校の職員や幼稚園の園長の子供が発達障害児では外聞が悪い」「自分たちからはエリートしか生まれないはずだ」という身勝手な理由から、頑なに認めようとせず、Bさんにも極力関わらないようにしてきたのだそうです。
だからBさんは自身のことを知らず、また適した教育を受けることもできず、大人になってからこのような事件を起こすに至ってしまいました。
大事なことは周囲の理解と協力
この事件の後、医師の勧めもあり、私たちは家族としてBさんの全てを受け入れるためにA一家と暮らすことにしました。Bさんの病気を理解し、負担を減らすためにはどうしたらいいかを医師に聞き、全員でサポートすることに決めたのです。
また、Bさん自身も自分が発達障害だと理解し、向き合うことにしました。まず2次障害である育児ノイローゼを解消するために、投薬と休養により心を休める期間を設けました。
日中起きていられない、何も手につかないなどの薬の副作用もありましたが、私たちが手伝い、休める時間ができたり、週に1~2度半日誰もいない場所で静かに過ごすことで2か月ほどで薬を飲まなくても大丈夫になりました。
育児を再開してからも子供の面倒を1人ずつ落ち着いて見ることができるようになったからか、物を壊したり暴れたりするような発作は起きていません。
私たちが話を聞くことで、溜まっている感情を吐き出せるようになったことも効果的でした。Bさんは今までストレスを溜めることしかできず、そのうち周囲の全ての人に自分が責められているように思えていたそうです。その結果、全てを壊したくなったと言っていましたが、そういった不安定さも2次障害が要因とのことで、Bさんはそのことを自覚するまでとても苦しんでいました。
自分にそういう障害があると納得(自覚)すること、周囲もそれを知った上で受け入れ、サポートをすること。今回のことで、発達障害者が上手く子育てをするにはこの2つがとても重要であると感じました。
周囲との違いに気がつけるのは周りの人です。第一には両親、第二には近所の人や幼稚園、保育園の先生でしょう。残念なことにBさんはその人たちに助けてもらうことができず、30年という長い間辛い思いをしました。小さい頃から療育を受けていれば、苦しみが軽減されていたかもしれないと思うと胸が痛いです。改善できる機会を実の両親によって失っている訳ですから。
児童虐待は年々増えていますが、親の発達障害も要因の一つだと私は思っています。子育て中に自身の発達障害が判明したとしても、子育てしながら治療することは難しいでしょう。ですので、夫婦以外の周囲のサポートが必要なのです。
私たちはBさんの苦しみが少しでも減るようにこれからもサポートをして行きます。
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