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発達障害である私は人間関係が作れずトラブル続き

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 この記事は40代の女性に書いていただきました。彼女は34歳の時に、妹の息子が自閉症と診断されたことをきっかけにクリニックで受診したところ、典型的なアスペルガー症候群(発達障害)だと診断されました。

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子どもの頃の人間関係

 子どもの頃から友達と仲良くするのが苦手でした。クラスメイトから冗談を言われてからかわれても真に受けて本気で怒ってしまう、逆に自分が冗談のつもりで軽い気持ちで発した言葉が相手に意図しない意味で受け取られ、トラブルになることも多くありました。大人になった今でも、言葉の誤解によるコミュニケーションエラーはたびたび起こります。

「空気が読めない、気に入らないとすぐに泣く」

 これが小学校の通知表の生活面での評価でした。「決まりを守って、友だちと仲良く遊ぶことができる」の項目にいつも「もう少し」の評価がつけられていました。「空気が読めない」「友達との人間関係がいまいち」はアスペルガー症候群(発達障害)の特徴そのものです。学習面ではほとんど「よくできる」がついていたのにです。

 それで、「頭はいいのに、(人間関係の)簡単なことができない」と周囲から言われる子でした。中学になると、その特性からいじめの標的にされました。学年の中で少しツッパった感じの女子生徒から、いくつも「プレゼント」を貢がされました。トイレで用を足しているのを覗かれたこともあります。小学校の卒業式の前日に、思いを寄せていた男子にその子の友人たちの目の前で「公開処刑」のようにフラれ、そのことが原因で中学の男子生徒からも毎日のように冷やかされからかわれる日々でした。

 中学の部活動ではバレー部に所属していました。小学校のドッヂボールでは名指しで狙われるほど球技が苦手な私を、あまりにも不器用だからか先輩は気を遣って可愛がってくれましたが、同学年の部員とだけどうしても上手くいかないのです。同学年の部員が私を無視するようになり、とうとう部活のミーティングでは「私への個人攻撃」が議題になりました。中学1年の時に一週間ほど不登校になり、2年生の時には個人攻撃があまりにもつらいので部活を辞めたいと顧問教師に相談したのですが、「あなたにも問題があるので、そこは上手くかわしていけばいい。部活は人間関係を学ぶ場でもある」と退部を認めてもらえませんでした。

 3年生になり、中体連が終わった時に互いに寄せ書きを贈りあったのですが、その時に書いてくれた人がほぼ全員「よく耐えたね」でした。さんざん私をいじめて個人攻撃や無視を続けていたくせに、よくそんなことが書けたなとあまりにも腹が立ったので、全員殴ってやりたくなりました。

私の憧れはサイボーグ

 小学2年の時に東京から福岡に引っ越したのですが、初めはそのために周りと上手くやっていけないんだろうと思っていました。が、なんとなく「自分が他の人と少し違う」ということに感づいていたのでしょうか、ある日学級文庫にあった、サイボーグを主人公としたSF漫画が目に留まりました。

 どうせ人と違うなら、特殊能力を持っていて、少し悲壮感が漂っているほうがカッコいいかもなんて空想をしていました。その日から「サイボーグ」という言葉は私にとって憧れの存在となり、同時に触れたり口にしたりしてはいけない「聖域」のようなものになりました。父はそんな私を見て、「サイボーグなんてのはこの世には存在しない」と咎めました。

トラブル続き

 高校、大学と時々人間関係のトラブルを抱えてしまうことはあったもののなんとか卒業し、塗料会社に研究職として就職しました。この時になっても「サイボーグ」をまだ引きずっていて、人工臓器などの研究をしたかったのですが、成績も経済的にも不足が大きかったので、一浪して工業化学科に進学しました。

 職場では少し年上の技能職の先輩がとっつきにくかったので、なかなか必要なことも話しかけることができずに躊躇していたら、「あなたは私が高校しか出ていないので馬鹿にしているんでしょう」とあらぬ疑いをかけられ、ますますその先輩に話しかけることができなくなってしまいました。その後、契約社員や派遣社員など、いくつかの職場を経験しましたが、そのたびに必ず1人は話しかけることのできない人がいて業務がスムーズにいかないことも多くありました。

 仕事面では電話の応対がものすごく苦手で、かける時も受ける時もパニックになってしまいます。そのため必要な物品の発注をするのにもおどおどしながら何度も先輩や同僚に何を話すのか確認しないとかけることができませんでしたし、かかってきた電話を受けるのにも頭の中が真っ白になって必要なメモを取ることも忘れてしまい、どこの職場に行っても上司から厳しく叱られることが多くありました。ある職場では、あまりにもひどく叱責されたので、トイレで激しく泣きわめいたこともありました。

 まだ、発達障害と診断される前ですので、「なぜこんなに生きづらいのだろう」と深く傷ついたのです。その頃からキリスト教の教会に通い始め、洗礼を受けた頃には「サイボーグ」へのこだわりはほぼなくなっていました。その代わり、「ありのままの姿で人を受け入れられるようになりたい。人間関係で悩む人の助けになりたい」と、牧師を志すようになりました。教会内外の様々な事情があって、まだ牧師として活躍できているわけではありませんが、一日も早くその場が得られることを切に祈るばかりです。

結婚して母に

 大学を卒業する前年に望まない妊娠をして相手の男子学生から中絶を迫られ、泣く泣く子どもを諦めてからずっと強い結婚願望を抱えていました。しかし、好きになる相手にことごとく片思いのまま失恋をし、もう自分は結婚できないんだろうと諦めていたところ、携帯電話の婚活サイトで今の夫と知り合い、約1年後に結婚し娘が生まれました。
夫と知り合ったのが39歳、娘が生まれたときは40歳になっていました。

 「ハイリスク妊娠」で帝王切開での出産でしたが、私と娘お互いがアスペルガー症候群(発達障害)という育てにくさを抱えながらも、娘はすくすくと育っています。アスペルガータイプどうしの母子ですから、私がちょっときつく叱りすぎたりして娘が癇癪を起こしたりしたときなどには私自身が癇癪を起こしてしまい、かえって事態の収拾に時間がかかることは多くあります。そのたびに自己嫌悪に陥って抑うつ状態になってしまうことが時々あります。それでも夫の協力を得ながら、なんとか「親」しています。

[参考記事]
「発達障害の「二次障害」とは何か。放置すると大変なことに」

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