この記事は、発達障害のお子さんを育てている40代の女性に書いていただきました。
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お遊戯「壊滅」状態から「普通に下手」まで成長
私には就学直前にアスペルガー症候群と診断がついた息子がいます。発達障害のあるお子さんは、体の動かし方が不器用なケースが多いと思います。私の息子もそうで、お遊戯が壊滅的に苦手でした。「運動会」「学芸会」などで、どう贔屓目に見ても他のお子さんと明らかに違う息子を見るのは切ないものでした。
幼稚園から「〇君はアレもコレもできない。迷惑している」と言われたので、これくらいの年齢の子って何ができるのかの基準を知るため、ベネッセの「しまじろう」を購読することにしました。このDVDに加え、NHKの幼児向け番組なども見ていました。
息子は、テレビの映像が動くのをずっと見ているのは好きでした。画面がチラチラ動くのを何も考えずに見るのが好きなようです。「しまじろう」や「体操のお兄さん」が「さあ、今の動き、一緒にやってみようよ!」と呼びかけても、全く無反応です。
子ども用の椅子に腰かけたままピクリとも動かない息子に対して、私が踊って見せても全然関心を示しません(こういう悲しい経験をしたお母さん、沢山いらっしゃると思います)。
幼稚園からのプレッシャーもあり、この時期が一番、体育(運動)について私の心が辛かった時期だったように思います。
ところが、ひょんなことから「ダンス」系の課題が解決してしまいました。息子は乗り物好きで、お散歩中にパトカーを眺めたり、駅で電車を見たりするのが好きでした。そして、夫の海外出張の見送りに空港に行ったことで飛行機も大好きになりました。
また、当時、JAXAの打ち上げた「はやぶさ」が「奇跡の帰還」でニュース映像になり、息子はさらなる「乗り物」=ロケットにも興味を持つようになりました。「車→電車→飛行機→ロケット」とスケールアップしながら興味を広げていきました。
そして、JAXAが登場するアニメ番組「宇宙兄弟」にハマったのです。当時のオープニング曲の歌詞が「あがって~のぼって~空を貫いて、ああ、目指した先は無重力だ~♪」というもので、この曲に合わせて登場人物が「右手を斜め上に挙げる、左手を斜め上に挙げる、両手を挙げてクルクル回る」というシンプルなダンスをしていました。
息子は、「宇宙兄弟」のアニメが始まると、親が何も言わなくても嬉々としてオープニングダンスを踊るようになったのです。これを機に、「今までの心配は何だったの?」と言いたくなるほど、ダンスが好きになってしまいました。
その成果なのか、小学校の運動会では「普通に下手くそ」なだけで、ちゃんとそれなりには踊っていました。「子供が変ではない」と思う運動会がこんなに心が軽いものだと初めて知りました。幼稚園の運動会では「ヘンでもいいじゃない」「べつにプロのダンサーにするわけじゃない」と自分に言い聞かせなければなりませんでしたから。
「縄跳び」という難関
ところが、別の問題も浮上してきました。学校の「体育」の教科では、お遊戯よりも少し動きの激しいことをしなくてはならないからです。
個人懇談で「〇君は、縄跳びができないようです。冬になると、体育で本格的に取り組みますから、ご家庭で跳べるようにしてあげてください」と仰いました。親の私としては「かんしゃく」や「忘れ物」などの対応にクタクタで、「ええ?縄跳びも?それくらいいいじゃないの?」と思ったのですが。
先生のご指摘では「我々教師も万全を尽くしますが、どうしても教師の目の届かないところで人間関係ができてしまいます。特に男の子はそう。お友達から『縄跳び』ができないことでからかわれてしまっては可哀そう」とのことでした。
息子の「縄跳びの下手さ」は、手で縄を回すタイミングとジャンプのタイミングが合っていないことが原因でした。跳び始めたスタート時に既に終わりが見える跳び方、というか……。「このままチグハグに縄を回していたら、ズレが大きくなって、あと何回くらいで終わるだろう」という予想がつくような感じです。
そのズレを少しずつ小さくして、縄跳びの単元の小テストを何とかクリアして、やりすごして過ごしました。
体育の教科書
学年が進むにつれ、「うんてい」「ドッジボール」「ハードル走」など「体育」の内容も増えてきます。「うんてい」は、腕の力が弱くてぶら下がるのもやっとでした(就学前に通っていた療育でも「腕の力の弱さ」は指摘されていました)。
ドッジボールは、そもそもボールを投げる動作ができませんでした。手からボールを離すタイミングが分からないらしく、投げようとして足元の地面に思いっきり叩きつけてしまうのです。
「走る」という動作も幼いものでした(この学年では必ずしも息子だけではなかったのですが)。幼稚園児の「トコトコ」という感じの、長閑というか、躍動感がないというか、そんな走りかたでした。
そこで、体を鍛えて「体育」の能力を引き上げなくては、と考えるようになったのです。当時、山岸涼子さんのバレエ漫画「テレプシコーラ」を読んでいました。現代日本でバレエダンサーを目ざす少女に、大人が道を示していきます。
印象的だったのは、一昔前の根性論・精神論ではなく、純粋に「テクニック」を教えていく場面です。例えばヒロインは生まれつき足の動きに問題があったのですが、そういう点に「このターンのとき、ここの筋肉を意識してみてね」という指導があるのです。
こういった漫画を参考にしたのか、ネットで見ると「体育の教科書」という本が売られていました。購入して読んでみると、「うんてい」では、まず「〇秒間ぶらさがる」「体を前後に揺らす」「体の揺れに合わせて片手を前に」などと細かくステップ分けして、技術的な指導法が紹介されていました。
「ボールを投げるときは空に向かって投げよう」「走りが早くなるには、まず足を高々と上げる練習から始めよう」などのアドバイスもあります。
その「体育の教科書」を手に、放課後の運動場の片隅でせっせと息子に体育を仕込んでいました。「足を高々と上げる」のは、「巨人の星」の「大リーグボール」みたいに足を真上に上げる動作です。それを長いスカートをはいた私が息子にやってみせている真っ最中に、通りかかった担任の男性の先生に「何をやってらっしゃるんですか?」と声を掛けられ、ちょっと恥ずかしい思いをしました。
残念ながら、これで子供の体育が直接上手くなったというわけではありません。「空手の『通信教育』で有段者」という吉本新喜劇の定番ギャグがありますが、「体育の教科書」なるテキストを読んでも、体の動きにはなかなか……。
この取組の効果は、別のところにありました。運動場を通る校長先生をはじめとする先生方が「〇君もお母さんも頑張っていますね!」と声をかけて感心して下さるのです。「体育の教科書」を「こんなの見つけたんですよ」とお見せすると「へえ!こんなのがあるんですねえ!」。若い先生が感に堪えないといった様子で「ここまでなさるお母様はいませんよ」とまで褒めて下さいました。
学年が上がっても、学校で「かんしゃく」を起こすなどトラブルが頻発する時期もありましたが、先生方には6年間を通じて温かく、親身にご対応いただきました。卒業式の後、個人的に学校にお礼に伺うと「お母さんは、〇君と一緒に運動場で頑張っていらっしゃったのがとても印象的で……」と複数の先生が仰いました。職員室の語り草となっていたようです。
私の所属する「親の会(発達障害)」では、学校との関係が上手く行かないことがよく話題になります。確かに、学校によっては理解のない対応をされる学校もあるようです。
私の子の学校は幸い基本的に理解があったのと、「育児に一生懸命工夫を凝らして全力を尽くしているお母さん」という印象を持っていただけたのが良かったのかなと思います。
運動は「それなり」になりました
親の頑張りは親の頑張りとして学校に認めていただき、その後の関係構築に役立ちましたが、肝心の息子の方は、親とは別のところで「それなり」になっていきました。
学童保育は3年生が最終学年です。その「最後のドッジボール大会」に出場したい、と言い出したのです。本人が自発的に「行く」というのですから、止めようもなく、当日は「ちゃんと楽しんでいるのか」「お友達に笑われていないか」「ストレスのために家で荒れないか」気がかりでした。
ところが、本人はケロっと帰ってきました。学童の先生によると「とにかく頑張って『逃げて』ました」とのこと。本来のドッジボールはそういう競技ですから、それでよかったのでしょう。
小学校でも、運動会では学校全体で赤白に分かれて得点を競うのですが、4年生から「僕は〇組の一員として頑張りたい」と宣言するようになりました。「チームの一員」という意識が芽生えたようです。
「棒引き」(綱引きを綱ではなく棒で、少人数で行う競技)では、あと数センチで「負け」確定のところを引き分けまで粘り、手に汗握る熱戦を見せてくれました。
5年生では「よさこいソーラン」系のダンスがとても気に入り、家でも「こういう振付だよ」と踊って見せていました(普段は学校のことを何も話さない子なのに)。本番でも、法被を着て、他のお子さんよりキレ良く踊っていました。
6年生の組体操も無事完遂できました。昨今、組体操の危険性が指摘され、心配であると同時に、我が子が原因で組体操が崩れ、他のお子さんにけがを負わせないかが心配でした。何事もなく良かったです。
以上のように体育はメンバーの一員として楽しむことができるようになって良かったと思います。発達障害のお子さんの場合、体育は「それなり」にできれば十分です。
[参考記事]
「発達障害の子供が苦労する「音楽(科目)」に対する対応」
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