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ADDと診断され二次障害のうつや強迫性障害を発症。転職は10回繰り返す

 

この記事は30代の女性に書いていただきました。

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 ADHDの中でも「不注意性が優位」であるADDと診断された私は、今、39歳で、37歳まで診断されずに、生活をしていました。幼少期からADHDを疑われるような傾向はあったと思います。幼稚園に行きたがらず、親を困らせるということも常日ごろあり、大勢の人に入っていくことに恐怖感を感じていました。私は早生まれで、3月末の誕生日だったことから、周りとの成長のスピードに違いが感じられやすいということもあったかもしれません。

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小学生では忘れ物が多い

 小学校でも、普通の国語とかの勉強はできても、特に体育は苦手で、練習してもできないことが多く、変なところで転んだり、走るのは遅くて、反応が悪いということ。そして手先がとても不器用なので、美術や家庭科はすごく困ったことばかりでした。物事が人よりもできないことと、できてもやるのが遅くて怒られたり、「なんでできないの」と言われることで、落ち込むことが多くなっていきました。あと、忘れ物が非常に多いということもあり、うちでも学校でも指摘されてきました。

 忘れ物が多いのはADHD(ADD)の典型的な性質ですが、運動神経の悪さや不器用さもADHDと合併していることが多いと医師から言われました。でも、そんなことは知らずに当時は「なんで何回も忘れてしまうのか。」「なんで体が動かないんだ」と落ち込んでばかりでした。

中学、高校ではコミュニケーションが取れない

 中学、高校に入ると、特に人に対して空気が読めないということに悩むようになってきました。普通の人ができるコミュニケーションが取れないし、どうすればいいのかと悩んでいました。この頃から特に不安感を強く感じるようになって、手洗いがとまらない症状(強迫性障害)が出始めていきました。強迫性障害は二次障害と知られており、この頃から出てくるようになりました。

※二次障害とは、発達障害の性質に対する周りの無理解、きちんとやりたいけど出来ないことへの劣等感、人間関係や集団生活になじめない、などにより、うつ、強迫性障害、パニック障害、暴力などの二次的な症状のことです。

 中学はなんとか卒業し、私立の高校にいくことになりました。ですが、1年の頃から上手くコミュニケーションを取れなくて、ほぼいつも1人ぼっちでした。そんな状態ですので、教室に入るのも怖くなってしまい、親に「学校行きたくない」と相談しましたが、高校卒業しないと仕事がないと言われ、もう少し我慢することにしました。

 2年に入ってからは、クラス替えがあり、多少仲良くなった人も何人かいました。しかし、私が空気を読めないのが影響したのか、ある時、仲が良かった人に、「〇〇ちゃん(私)、〇〇(友達)を傷つけることを言っていた」と言われました。でも、私自身はどうしても思い当たることがなかったのですが、さらに「あなたは自分が気づかないうちに人を傷つけている」と言われました。私自身がどんなことで傷つけたかも分からないので口を開くことさえ怖くなり、不登校になりました。そのときに学校の先生に勧められた心療内科に行き、「強迫性障害」と「うつ」と診断を受け、薬を飲むようになりました。なんとか高校だけは出なくては仕事につくことができないと思い、薬を飲みながら通う日々を高校卒業まで続け、なんとか卒業できました。結果的に一番の問題は人間関係をうまく築けない事でした。ADHD(ADD)の他にアスペルガーも合併している気がしますが、ADHD(ADD)としか診断を受けていないので何とも言えません。

会社でも苦難は続く

 今まで、いろんな会社で働いてきましたが、小学生の時代から作業が遅いことを自覚はしていたので、必死になんとか勤めようと思って仕事をしていました。しかし、半年くらいしてくると、どの会社へ行っても作業スピードが遅いと注意されます。さらには二次障害によりうつの症状が出てしまう時があり、社長から「落ち込んだりする姿を周りにみられることで士気が下がる。会社としてはそんな人は雇えない」と言われたこともあります。最終的に私が精神的に病んでしまい、退職をしないといけないという状況になってしまいました。

 結局、18歳から37歳まで10回ほど転職を重ねてきました。どの会社でも私が気づかないうちに、人間関係が崩れてしまっていたことが後から考えるとほとんどでした。やはり、先ほども書きましたが、ADHD(ADD)の他にアスペルガーなどの障害も合併している可能性も高いのではないかと思っています。二次障害のうつの症状により人間関係が作れないのではなく、うつが出る前から人間関係は作れていませんので、性質的なところに起因していると思います。

やっと診断を受けた

 ADHDのことは、15年くらい前に「片付けられない女たち」という本が出たときに知り、そうではないかなと思って、病院に一度行きましたが、あまり相手にされず、ずっと「うつ病」の薬と睡眠薬をもらいながら、仕事をしていました。

 27年5月に仕事をや辞めたのですが、「なんでこんな風にいつもなってしまうんだろう、どうしてもうまくいかない」と思っていたところ、栗原類君のADHD(ADD)の告白を見て、やっぱり自分もそうではないのかと思いました。原因が分かればいいと思う気持ちで、発達障害の検査をしてもらえる病院をさがし、検査を受けました。

 結果は、2週間で出ましたが、やはりADD(注意欠陥障害)だと診断が出ました。そのときに、病院の先生によくここまでやってきたね。と言われました。診断が出て、正直ほっとしました。診断で出てきた結果は、「不注意性が際立っています。理解力はあるが、作業スピードは一般の人よりかなり劣っている」ということでした。何度も転職しても上手く行かない自分に対して、情けない気持ちとこれからどうするのがいいのかと思っていたので、診断を受けて、救われました。

 原因が分かって良かったと思っています。もちろん、今までのように一般就労にすぐに戻ることはできませんが、自分ができることを少しずつやっていけば、何か今までとは違うことを自分のペースでやっていくことで道が開けていくのではないかと思えるようになりました。今のまま転職をしても、過去10回失敗した二の舞になりますので、自宅でできる仕事を目指して勉強しています。

[参考記事]
「発達障害の二次障害により不登校に。親への暴力も」

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