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発達障害の二次障害になった息子に対する医師からの助言

 

この記事は40代の女性に書いていただきました。

……….

 現在中学2年生の発達障害の息子は学校という集団生活に馴染めず、小2の秋から不登校になりました。他の生徒と同じような綺麗な字(読める字)を書く事が出来ず、担任や友達から心無い言葉を言われ続けた息子は、字を書く事を一切やめてしまいました。決して本人が怠け心で汚い文字を書いていたわけではありません。後から分かった事ですが、字を書く事に他人の何倍もエネルギーを使う息子は、「多くの人の目に触れる字(掲示物など)」と「自分しか見ない字(連絡帳の記録など)」を無意識に使い分け、エネルギーの消費を調節していたのです。

 それによって担任は「綺麗な字が書けるのに、書かない!」という認識になり、ますます息子にとって厳しい状況になっていきました。自己肯定感がどん底まで落ち、心を壊して問題行動が始まった原因の一つになりました。発達障害の特性によって、叱られる経験が積み重なり、二次障害を引き起こしてしまったのです。

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教育支援センターに相談、そして病院へ受診

 市の教育支援センターの方に相談し、緊急性を考慮して療育センターの予約を優先して入れていただく事が出来ました。本来だと2、3か月待ちと言われていたのですが、この配慮はとてもありがたかったです。

 診察を受ける頃には、どんどん問題行動は増え続け、息子がテレビを観てる間に急いで作った食事もテーブルの上に並べた途端、全て床に捨てられ、作ることすら出来ず毎日のように外食をしなければならないようになっていました。好物だった食べ物も「苦い」と言うようになり、味覚にも影響が。もう不登校どころではなく、生活が成り立たない毎日になり、藁にもすがる気持ちで親子3人で病院の門をくぐったのです。

 診断名はADHDとPDD(広汎性発達障害)の合併とのこと。「やっぱり」という気持ちとホッとしたのを記憶しています。それまでは息子を甘やかす事になるのではないかという躾との狭間で、悩む部分がたくさんありました。しかし、生まれつきの脳の障害なのだという事が分かったことで方針が定まり、これからはもっと息子のために発達障害を勉強し、息子に合った対応をしていこうと必死で医師に質問をしました。

二次障害に対する医師からの助言

 当時1番困っていたのは、一瞬でも目を離すと米などの食料品、水などを部屋中にばら撒く行為でした。「やめなさい!」と大きな声をかけて止めに入っても逆効果でヒートアップするばかり。その二次障害に対する医師からの助言は「危ない行為でない限り、最後までやらせてあげてください」でした。

 「え~!止めずにやらせるの?!部屋の中が大変な事になっちゃうよ」と、まだ私は自分の感覚のものさしから離れられずにいました。今でも思いますが、この長年培ってきた「自分基準のものさし」が厄介で、この基準の全てを白紙にするところから発達障害児の子育てがスタートするのだと思います。

医師のお話では、

◎無理に行為を止めることは、今まで溜めてきた心のストレスの開放を中断し不完全燃焼にさせるもの→本人は暴れたくて暴れているわけではない、心の中では泣いている

◎やりきって荒れが落ち着いてから片づけを始める→荒れて興奮している時に何を伝えても伝わらないので落ち着いてから

◎声掛けは淡々と伝える→自分の感情に任せて声を荒げて伝えるのは逆効果

 部屋がグチャグチャになり、物が壊れていくのをただただ黙って見守るのは想像以上に苦しかったですが、医師からの助言通り対応方法を変えたところ、ゆっくりではありますが少しずつ暴れる行為が減っていきました。

現在の息子は

 中2の今も不登校中です。ですが学校へ無理に行かせようとは思いません。本人が行こうと思った時に自分の意志で行くようにしています。そして物をばら撒く行為はなくなりましたが、感情のコントロールがうまく出来ず、怒りの感情が出る時は物に当たったり、親に手足が出ることが多々あります。

 それらは発達障害の二次障害を機に出始めたので、長いスパンでフォローをしていかねばならない事なのだろうと痛感しています。しかし、小2のあの頃よりずっと笑顔の多い息子を見ていると、どんないい会社に入るより心健やかに自立した大人にする事が親の一番の願いです。

[参考記事]
「中学1年生で発達障害と診断されたが、既に二次障害の鬱」

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