この記事は40代の女性に書いていただきました。
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私は小さい時から発達障害に苦しんできましたが、母にだけ伝えられただけで私はそれをずっと知らずに育ってきました。
小さい頃の困りごと
2歳ぐらいに言葉が出てこないことを心配した母が市の心配事相談に相談したところ、自閉的傾向と言われ、その後定期的に療育相談に通っていたそうです(私はその記憶がありません)。
犬のことに熱心だったり、漢字がすごく好きなど、一つのことに対する集中力が高い一方(こだわりが強い)、みんなが仲良く遊んでいるとき、私だけ一人ぽつんと本を読んでいたり、相手の言葉をオウム返しをしていたそうです。オウム返しは自閉症の特徴ですが、こういう面から「自閉的傾向」と言われたのでしょう。
小学生になっても人との関わり方が分からず、一人でいることが多かったため、いじめに合っていました。
中学、高校時代の困りごと
中学に入ると部活動が始まりますが、この時に先輩になかなか丁寧な言葉遣いができなくてトラブルになったことがありました。意識してため口で話していた訳ではなく、どうしても先輩との距離感が取れなかったのです。ここでも人との関わり方の問題が現れてきました。
高校はカトリック系の女子高校でしたが、クラスやサークル活動でも友人がなかなかできませんでした。この状態で就職活動を行いましたので、面接で全て落とされ、上手く行きませんでした。結局叔母の経営する会社の手伝いをする羽目になりました。
小学校、中学校、高校と、全て人間関係で躓いているだけの時代でした。発達障害が影響していたことは確かですが、この時には知る由もありませんでした。
成人してからの困りごと
成人してから登山が好きになり、地元の山岳会に入って活動したこともありましたが、登山前に装備を借りることができずに出発した結果、山中で遭難しヘリで救出されるという結果を招いたこともありました。「〇〇を貸してください」という言葉を言えなかったのです。これも人間関係が苦手なことで起こったことです。
そして就職面ですが、叔母の会社を辞めて、就職の面接を受けても採用に至らなかったり、せっかく採用されても短期間で離職や転職を繰り返してしまうという就職不調の悪循環に陥っていました。そのうえ、ケガをして右足の手術を受けた際は、4か月間も社会と離れることを余儀なくされてしまいました。
その後、日雇い派遣から少しづつ仕事を再開し、翌年には正社員の仕事に就けましたが、職場で人間関係のトラブルを起こし、首になりました。
「自閉症スペクトラムとADHDの合併」の診断
このような人間関係を原因とする就職不調の悪循環に陥っている中、たまたまインターネットで発達障害を知り、「一人じゃないんだ」と思えるようになり、一度専門的判定を受けてみたいと思うようになりました。
このことを小さい時から支援を受けてきた臨床心理士に相談したところ、「就職不調の悪循環は終わりにしましょう」と発達障害者生活・就労支援に実績のある社会福祉法人を紹介していただき、そこから障害者職業センターにつながりました。
職業センターでは職業評価、作業検査、知能検査を受けましたが、その結果をもって知的障害者に準じた援護を要するか否かの判定を医師に依頼しました。
その結果、発達障害であるアスペルガー症候群(自閉スペクトラム)と注意欠陥・多動性障害(ADHD)の合併があり、就職や職場定着には知的障害者に準じた援護を要すると診断を受けました。
その際、判定にあたられたお医者さんには、「何かをしたいと思った時、3つ数えてから行動してごらん」とアドバイスしていただきました。その先生にはのちに、精神障害者保健福祉手帳を取得する際、その判定にもご協力いただくなど何かとお世話になりました。
就職不調の悪循環を断ち切って
その後、障害者職業センターの職業準備講座に通いました。同じ境遇を持った仲間と話すことができ、孤立しがちな私はとても助かりました。
職業準備講座終了後、就職活動を経て、ある勤務先に非正規ながら入社しました。職場体験・トライアル雇など使える制度はフルに使わせていただき、相談に乗ってくれる担当者も付けていただいたことに本当に感謝しています。
残念ながらその就労先は経営悪化で退社せざるを得なくなりましたが、自分の特性に合わせた勤め先で9年間頑張れたことに感謝しております。
[参考記事]
「発達障害者が人間関係を良くするためにすべきこと」
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