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重複障害者の私だから分かる、身体障害よりも発達障害の方が苦しい

 

 こんにちは。身体障害、発達障害、軽度知的障害とを併せ持つプロライター・前田穂花です。

 今日はわかりやすい「特徴」としての身体障害よりも、見た目ではわかりにくいがために理解されない発達障害者ならではの苦しみを、重複障害者である私の実際の体験を通じてお話しできればと思います。

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車椅子使用者への理解は進んだと実感

 私は体幹及び下肢に障害を有し、常時車椅子を使用しています。詳しくは別の機会に触れますが、生まれつきの発達障害を今でいう統合失調症と誤診され、33回にも及び精神科入退院の間に投与された多量の向精神薬の副作用のせいで薬物性パーキンソンニズムを発症、そのために自力歩行が困難になってしまったのです。

 とにかく、私は車椅子に乗っているので、歩けない人、身体が不自由な人だということには誰の目からもひと目で気付いてもらえます。

 まれに「どうして歩けないの?事故に遭ったの?」「パラリンピック選手をごらんなさい。すごく立派でしょ、あなたももっと頑張りなさい」などとしつこく声を掛ける人や、あるいは「可哀想ね、可哀想ね…」と意味不明なほどに連発されるような方と遭遇する場合もないわけではありませんが。

 このところは社会の認識も変化しつつあるようで、私が愛用のピンクの車椅子で街中をぶらぶらしていても、特に何もなかったかのような素振りでそっとしておいてもらえます。私が車椅子を使用し始めたばかりの頃よりも、さらに最近は「当たり前の光景」としてスルーしてもらえています。「放っておいてもらえる」権利に私は本当に心から感謝しています。

 私が車椅子に乗っている状態についていろいろ詮索され意見されることは、感覚的にはちょうどブティックでゆっくり洋服を眺めたいのに、店員がやたらと「お客様~~」と声をかけてくる、あの煩わしさに似ている気がします。こんな表現が妥当だとは思えませんが、とにかく「ウザい」のです。

 しかしながら、この頃は車椅子で街に出ていても、すれ違う方々からそっとしてもらえているという事実は、それだけ一般の方々の車椅子ユーザーに対する理解が進んだ証左だと思います。

 当然ですが、私が急なスロープや段差などで立ち往生している場合には「お手伝いできることはありますか?」と誰かしらお声がけくださるのが常となりました。かつては、立ち往生した状態の私の車椅子に勝手に手を出されて自己流に介助されようとされたがために、私自身も、そしてせっかく手を貸されようとされた方も巻き込んでの事故に至ったことが数回ありました。ですので、声をかけて介助を申し出ていただくことはお互いにイヤな想いをしないために、そして不慮の事故を防ぐ上でとても重要な部分です。

 そういう細やかな部分についても、車椅子使用者に対する理解は進んでいるのだなあと肌感覚で実感する私です。

 たまたま私は自身が車椅子に乗った肢体不自由者なので、このような例を列挙していますが、東京パラリンピック開催も近い現在、一昔前に比べれば各種の身体障害者に対する社会の理解は確実に定着し、理解も進んできているのだろうと思えます。

理解されないどころか存在自体知られていない発達障害

 しかし一方で比較的新しい概念である発達障害について、正しく知っている人は殆んどいないのが現状です。ネット上ではアスペルガー症候群を省略形にした「アスペ」が、自分と意見を異にする相手に対する侮辱を意味する差別用語であるくらいに、発達障害は蔑視の対象にされがちです。例えば「あいつ、話が通じねーし、アスペじゃねー」という会話が交わされることもあります。

 私についていえば、相手と実際に喋らない限り、自身の発達の歪み(発達障害)に気付かれることはありません。互いに会話を交わしてみて、話の内容が噛み合わないところから私自身の「おかしさ」が、相手にもようやく気付かれることになるのです。

 発達障害は見た目だけでは、他者に気付かれにくい障害である上、そのような障害があることすらご存じない方も多く、的を得ない私の応答に対し「ふざけてるんだろう」「真面目にやれよ」と怒り出す方も多いので私は本当に凹みます。

 そんなふうに対人関係の失敗を繰り返していくうち、どうせ自分はバカなんだ、何をやってもうまくいかないんだ…そうどんどん自己否定の念が重なり合って心に渦巻きます。

無理解によって傷つき荒れていくばかりの私の心と身体

 どうせできないから、これ以上傷つきたくないから。そう思って自室に引きこもったまま、無為に数ヶ月過ごしてしまう期間が、中学生の頃の不登校から始まって、五十歳を目前に控えた現在でもなお一年に一度は起こる私です。

 その他、子どもの頃から抜毛症という自傷行為があり、髪の毛を抜くことでしか心が落ち着かない私は、現状地毛を坊主頭に丸めて医療用ウィッグを使用中です。

 リストカット、オーバードース、摂食障害、各種のアディクション…自分自身が大嫌いな私は、自分の心と体を傷めつけることでしか自身の存在を実感できず、様々な自傷行為や社会的な逸脱行為を繰り返しました。

 発達障害自体も苦しいのですが、それ以上に発達障害があることによって二次的に発現したいろんな問題行動が、自分でも意図的にそうしているわけではないだけに、余計に私を生きづらくさせました。

大人から見れば育てにくく可愛げのない子でした

 幼い時から、私はとにかく「可愛くない」「子どもらしい素直さがない」と言われ続けて成長しました。当時は今以上に発達障害の存在が知られていなかったので、大人からすれば私は単純に「育てにくい子ども」「我儘な子ども」でしかなかったのです。

 その現実はたびたび、私を養育者から受ける虐待へと追い込みました。私はさらに輪をかけていじけてひねくれた子どもへとなっていくばかりでした。

 私は家庭の事情でたびたび養育者が変わりましたが、どうしてそんなにダメな子なの、可愛げがないの…とまるで悪い呪文か暗示でも掛けられているかのように、大人から言われ続けた体験は、成人後の私の性格を相当に歪めました。

 大人が私を「責める」理由すら理解できていなかった幼い私にとって、養育者や学校の先生の言葉は本当に心をずたずたにするナイフのようなものでしかなく、どう振舞えばナイフを心に突き立てられずに済むのかということばかり考え続け、大人の顔色(正確にいえば当時から相手の顔色は余り読めなかったので、どちらかというと声のトーン)を伺うばかりで怯え続けていました。

 幼児期、そして児童期を過ぎて思春期に入り、私も大人に対しても腕力では、ある程度まで反抗できるように成長は遂げました。大人から受けた心の傷を、もし外に向けたならば、いわゆる「非行」だったのでしょうが。

 私は大人から虐げられる傷みを自らに向けました。私は先に挙げた数々の自傷行為がもはや自分の意志では抑えられなくなり、それが原因で成人後の社会適応がうまくいかなくなりました。

それでも発達障害を苦に死ねない私なりの理由

 転職を繰り返し、結婚と離婚もそれぞれ二度経験しましたが、私は未だに自分の安心できる居場所が見いだせてはいません。おそらく…それはきっとどこにもないネバーランドなんだろうなあと、心が荒んだまま痛感して始めている最近の私です。

 基本的な人間関係の構築や大人に対する愛着を学ぶべき時に、可愛げがないとされてどこにも自分の場所が作れなかった幼児の私は、成人した現在もなお、他者との適切な関係が保てず、人間関係につまずきまくっています。挙句の果て、努力して築きつつあった相手との信頼関係を、まさに自らの手で一瞬にしてクラッシュさせては泣き続けています。

 そういう人間関係の維持の拙さだけでも、発達障害を抱える私たちの悩みとして理解してもらえるよう社会に発信したい。車椅子ユーザーに対する理解がそれでも社会に浸透したように、発達障害者の困難についての知識と理解を健常者と呼ばれる皆様にも共有してもらいたい。そのために発達障害当事者としてもうちょっとだけ努力し続けたい…そんな想いだけが、すぐ死にたくてたまらなくなる私をどうにか世の中に繋いでくれています。

 見えない障害だからこそ、ちょっと見では気付かれない障害だからこそ、車椅子というツールによって誰からもひと目でわかってもらえる身体の障害よりも遥かに深刻に、私は自身の抱える発達障害を苦に感じています。このどうしようもない傷みを、私はプロのライターとして、どうにかこれからも皆さんに自分の言葉で語れればと、そう願い続けています。

[参考記事]
「発達障害者だから失敗したの?二度の結婚と離婚を経験した私」

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