この記事は20代の女性に書いていただきました。
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18歳の時に、発達障害である注意欠陥多動性障害(ADHD)と学習障害(LD)だと、診断を受けました。診断を受けるまで、私は二次障害によって大切な思春期の時間を奪われました。
しかし、大人になった現在。
「あの苦しんだ時期が無ければ、現在の私は存在しない」っと、前向きに過去を受け止められるようになりました。
私が苦しんだ発達障害の二次障害について今回お話したいと思います。
小学の3年生の時に周囲に馴染めない、溶け込めない自分に悩むようになりました。他愛も無い会話をする程度の友人は居ましたが、グループを作っていつでも仲良く遊べる友達は居ませんでした。仲良くなっても、気づいたら私から離れていってしまう。
この頃は両親も忙しく、家でも学校にも居場所がないことに悩むようになりました。言葉に出来ないイライラは自傷行為で解消するようになりました。確か小学校3年生の冬だったと思います。カッターナイフで削って尖らした割り箸を使い、自分を傷つけることで、日々蓄積していくイライラが一気に解消されることに気づきました。それからカッターナイフを使って、直接自分を傷つけるまで時間はかかりませんでした。
家や学校で感じたイライラの大半は、どう頑張っても勉強についていけないことへの不安。家でも学校にも居場所がない。居て良いのか分からない恐怖。家族にもクラスメイトにも陰口を言われたり、物を隠されたり、5歳年上の姉との待遇の差など、毎日感じていた不満は、徐々に被害妄想が混じった怒りになりました。この自傷行為に両親が気づいたのは、私が中学3年生の時でした。
不登校になった時期でもあったので、そのまま精神科に通院することになりました。自傷行為自体は、今の夫と出会う22歳になるまで続きました。27歳になった現在でも、両腕にはケロイドのような切り傷が残っています。
中学3年で不登校、そして自殺未遂
生きるのが嫌になった居場所がない。どこに居て良いのか分からない。そんな思いが爆発したように、ある日登校直前に涙が止まらなくなって、そのまま不登校になりました。不登校になった同時期に、精神科を受診し、薬物治療が始まりました。発達障害と診断される前の話ですので、鬱病と診断を受け、治療が行われました。しかし、根本的な原因が発達障害による二次障害ですので、治るわけはありませんでした。
不登校になったことで、教室にいることの違和感は解消されましたが、家に居ることの違和感は日に日に増していきました。一度気になると家に居られなくなり、電車で1時間以上もかかる場所にふらっと出かけたこともありました。
これからどうすれば良いんだろう。勉強も出来ないのに、高校に行けるわけがない。そもそも、私はどこに居ていいんだろう。どこにいても、将来への不安と居場所がない恐怖心は拭えませんでした。
中学3年の秋、私は初めて自殺未遂をしました。それから何度か自殺未遂を繰り返し、どうすることも出来ないくらい疲弊した私は、高校2年の時に精神科の閉鎖病棟に入院することになりました。
入院中に発達障害の診断を受ける
入院して2週間程度経った頃に、医師から「注意欠陥多動性障害と学習障害の2つの発達障害の合併がある」と告げられました。今まで力が入りきった体から、すっと力が抜けました。
「私のせいじゃなかった」
診断を受けたとき、本当に心の底からほっとしたのを覚えています。診断を受けてから、二次障害が少し落ち着いた気がします。1ヶ月程 閉鎖病棟に入院した後、今までよりも高校に通えるようになりました。相変わらず自傷行為や自殺未遂は続いていましたが、診断を受けてから、勉強が出来ない私を両親は責めなくなりました。
高校卒業後は働くと決めていたこともあり、高校の先生達に放課後勉強を教えてもらいながら、なんとか単位を取ることが出来ました。高校を卒業するのに4年かかってしまいましたが、無事卒業し、就職しました。
一人の男性に認められることで二次障害がいっきに落ち着いた
結局 就職先を1ヶ月も経たずに辞めてしまい、フリーターやニートをしながら1年を過ごしていた時に、夫と出会いました。夫と出会ってから私自身のことや、私の過去のことを夫に話し、考えることが多かったです。夫は私に無理強いをせず、私がしたいことを、やりたいようにさせてくれました。仕事を短期間で辞めても責めることはなく、頑張ったことを褒めてくれました。私がしたこと、私がしたいこと、私が言った言葉を、夫は全て受け入れてくれました。
親を始めとする周りの人に認められないことに悩んだ時期がありましたが、一人の男性に認めてもらえたことで、私の心はとても安定しました。自傷行為も自殺未遂もしなくなり、1日十種類以上も飲んでいた薬も、1日2箱吸っていたタバコも止めることが出来ました。ようやく発達障害による二次障害が収まりました。
現在の私は過去の私がいないと存在しない
冒頭に言っていたように、現在の私は過去の私が居ないと存在していません。すごく当たり前なんですけど、過去の自傷行為や自殺未遂、発達障害も全部ひっくるめて、今の私なんですよね。手首を切って、死のうとしたけど、今 生きている。過去の私はすごく頑張ったんだと、10年以上経ってようやく認めてあげることが出来ました。
今でも精神的に不安定になることがありますが、人間なんだからそういう日もあるよ!不安定になったり、忘れっぽかったり、計算が出来なかったりするのが、私です。私は私。それで十分なんだと、本当に思います。
[参考記事]
「発達障害の私は10社以上解雇され、二次障害に」
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