Read Article

広告

不注意優勢型ADHDの私の苦しい人生。仕事も人間関係もダメ

広告

 

この記事は30代の女性に書いていただきました。

……….

 私は発達障害(「不注意優勢型のADHD」)と診断されている30代の女性です。私は幼少から、親を困らせてばかりの手のかかる子供でした。人見知りが激しく泣いてばかり。1人遊びが大好き。おねしょは11歳すぎても治らない。気にいらない事があると癇癪を起こしていた記憶があります。

 思春期になりその傾向は薄れましたが、高校は皆より遅い電車で通い、授業中集中できない事が多く、数学のテストで0点を取る始末。退屈な学校生活に耐え切れず、髪を染め、化粧品を万引きする事が止められませんでした。家族に沢山迷惑をかけてきたと反省しています。

 しかし、当時はなぜ集団生活が出来ないのか、人といると苦しいのか、自分は何物なのかを模索する日々でした。普段の性格は荒々しい訳ではありません。むしろ大人しくどんくさい天然ボケと言われる事も多いのです。その二面性に疑問を抱いていました。

●社会に出てからの苦しみ

 仕事でも発達障害ゆえの性質に苦しめられました。
社会人になりコールセンターに就職する事ができましたが、職場で説明される事がなかなか理解できません。いや、正確には頭に入りません。常に焦燥感に苛まれ、ゆったり物事を考える余裕がないからだと思います。何度も仕事のやり方を周囲に聞いていたので、冷たい目で見られていました。

 また音への過敏性があり、チャイム、コピー機、電話の音、ドアの開閉、人の出入り、周囲の刺激が気になって集中できません。これは、通勤の電車でも同じです。聞きたくもない人の話が耳に入るためか、よく腹痛を起こしていました。

 仕事中ミスしないように人に迷惑をかけないように、嫌われないようにと神経を集中するあまり、休憩時間は常にへとへとです。ついつい勤務中、眠った事もありました。また、厳しい事を言われると頭から離れず、しばらく落ち込みます。

 資料を置き忘れたり、ボールペンを失くす事もしょっちゅう。上司に叱責されましたが、なぜかなんでも「完璧にやりたい、できるはず」という反発心がありました。しかし、失敗は続き、強制退職。その後職種を変えても、仕事も人づきあい(人間関係)も上手くいきませんでした。グループ内で女性特有の世間話、雑談、愚痴に共感し合わせていくのが苦痛でした。複数の人が話すと頭が混乱して自分の話をする余裕はありません。笑顔を作って相槌が精いっぱいです。こういうストレスからか感情が安定せず、家族にきつく当たってしまいます。

 しかし、興味のある人や事柄には時間を忘れて、熱中できます。特に1人ヘッドフォンで誰にも邪魔されず、好きな音楽を聴く事は私にとって最大の癒しです。聴きすぎてウォークマンも壊れるほど。しかし困った事に熱中のし過ぎか、急な眠気が襲ってきます。

●診断が下りて

 テレビで、たまたま発達障害の特集が組まれており、人づきあいが苦手、好きなことへの情熱など自分と類似していると思いました。その事が印象に残り、自分もそうなのではないだろうかと精神科を受診しましたが、生来会話が苦手な私は症状をうまく伝えられません。しかし諦めず、紙にこれまでの症状を書き、主治医に見て頂いた所、ADHDの疑いがあると言われました。

 改めて18問からなる成人期ADHDのチェックシートに記入し、問診や学生時代の成績表、雰囲気、話し方、性格などを考慮した上、「不注意優勢型のADHD」であるとの診断が下りました。ADHDの冊子を頂きましたが、これまでの人生の失敗経験と重なる点が多いのです。10代半ばくらいまでの体の多動性は落ち着いてきたものの、不注意性はいまだ残り、生活に支障をきたしている様です。

 頭の中の多動は現在も進行中です。診断が下りた時、原因が分かってほっとした安堵の気持ちと障害があるというショック、2つの感情が交互に襲ってきました。症状を緩和する為、ストラテラ40mgを夜のみ服用しました。しかし食事がいつもの半分になり、便秘でお腹が苦しい、脇汗がひどい、眠れたかと思えば悪夢を見るといった不調が重なり、数週間で止めてしまいました。他の薬も提案されましたが、また薬で苦しむのかと思うと怖い為、お断りしました。何か方法はないのかと行き詰まってしまいました。

●特性を生かす

 その後、人づてに聞いたハローワークの障害者窓口を訪ねた所、発達障害の方が特性や個性を生かし、活躍していると前向きなアドバイスを頂きました。またADHDの方がどのような仕事に適正があるかも教えて頂きました。私の悩みにじっと耳を傾けて、2時間近く真摯に対応してくださった相談員の方に感銘を受けました。

 これまでの人生を振り返ると失敗が多く、何事も長続きせず、自分に自信がもてませんでした。また周囲に合わそうと葛藤し、個性を見失っていました。しかし、自身の特性を知るほど発達障害の凸凹、凹の部分ばかり見てきて、上手くいかなかったように感じます。すぐに改善される訳ではありません。一生どうにか付き合っていかなければなりません。常にメモを持ち歩く、ひと呼吸して落ち着いて話す、刺激のある場所をなるべく避け、無理はしない。その中で、好奇心旺盛、人とは異なる発想力、凝り性な所、凸の部分をうまく伸ばすこと、何か好きなことを極めることで道が開けるのではないかと考えています。

[参考記事]
「ADHDの私がハローワークで受けた恩恵」

URL :
TRACKBACK URL :

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

Return Top