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息子の発達障害が判明したきっかけとその性質について

この記事は30代の女性に書いていただきました。

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 私には発達障害の息子がいます。息子が、アスペルガー症候群とADHDの診断を受けたのは、今から4年ほど前のことです。今回は息子のことを書いていきたいと思います。

 私は先天的に視力が全くありません。子供の頃から、今で言う特別支援学校で過ごしましたので、いろいろな特性の人たちと関わってきました。だからか、話せなくても、体のどこかを動かしたりするのが困難そうでも、特に疑問に思うでもなく、幼少期からを過ごしてきたように思います。

 視力がないと言うことで、妊娠してからは目に関する遺伝について真っ先に調べたし、それがないと分かると安堵しました。目は大丈夫だと分かると今度は視力がないことでの育てづらさに対して不安になったり、健常者と呼ばれる人たちとは違う環境にいました。

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息子が発達障害の診断を受けたきっかけ

 言葉が出づらかったり、こだわりが強いと言うことはありませんでしたが、今から考えると、「あれがもしかしたらそうかもしれない」という出来事はありました。

 最初の夫と離婚した私は、彼ととても似た特性のある息子に、かなりイライラする毎日を送っていました。これは、私が当時の夫を嫌悪するあまりにそっくりに感じるからだ、とか、本当は息子のことを好きになれないのではないか、とか、育て方や離婚をしてしまった環境が良くなかったのかなどいくつも思い巡らせながら過ごす日々。

 そんな中、新しい人と出会い、恋をし、再婚をしました。そんな2番目の夫が、息子について「なにか様子が変だよ。もしかすると普通の子と違う可能性がある」と言い出したのです。全く予期しない言葉でしたが、学校で多くの問題を起こしていたので私も言い知れぬ違和感を感じていました。

 通っていた小学校では毎日のように小さな問題をいろいろ起こして帰ってきていました。友達と話をしていて突然キレたり、砂の掛け合いをしていて、自分だけがヒートアップしてしまい、相手は止めているのにひたすらやってしまったり、朝から気持ちのコントロールができず突然爆発してしまったり、机や椅子を投げたり・・・本当に、相手に怪我をさせはしないか、毎日毎日ひやひやでした。

 当時テレビでは少しずつですが発達障害関係のことが取り上げられるようになってきていました。ネットにも情報が溢れ始めていて、自宅でも発達テストができるようになっていましたから、早速試したところ、やはり、「可能性がある」と出てしまいました。

 とにかく病院に相談してみて、何もなければそれでいいよねと言うことになって、相談に行き、いくつも検査をしていただきました。その結果はアスペルガー症候群とADHDの両方の性質を持っていると診断されました。

 正直、とてもホッとしました。病名がついたからではなくて、これで対処の仕方も分かるし、本人が生きやすい環境を作ればいいのだと考えられるようになったからです。

 見た目が普通と変わらず見えてしまう息子は、周りからの誤解を大変受けやすく、例えば嫌がらせのつもりではなくても嫌だと思っている友達の心を測れず(空気が読めず)、やりすぎてしまうこともしょっちゅうでしたし、「昨日も話したけどね・・・」の様な文言はどれくらい使ったか分かりませんでした(短期記憶が弱いため)。

 発達障害者は指示内容が具体的でなかったり、目に見える形でないと伝わりづらいので、普通の対応では全くと言っていいほど理解していなかったことに気づきました。今まで見えていなかったこと、説明不足だったこと、補っても難しいことなど彼の性質を深く理解することができたことで、支援級へ在籍した方がいいのではないかと判断をし、今は支援級にいます。

 その後、障害児だけが行くキャンプへも参加するようになり、理解者と友達に囲まれて、前よりもかなり、笑顔が増えたようにも思います。ただ、現状では発達障害に対して無理解な人たちがいることも事実です。支援級に移る前は、学校が好きだった彼が、登校拒否になりました。理由は先生の言葉が暴言に聞こえたり、誰かに対して放たれた言葉を自分に言われているかのように感じ、その結果、お腹を壊すなどの体調の変化が多々あります。

 このようにどうしても、生きづらい部分を抱えてしまっていることもまた、事実なのです。発達障害は治る性質のものではないので、いかに生きやすくなるように訓練するかがこれからの私のテーマです。

[参考記事]
「発達障害の診断を受けるきっかけは自傷行為とかんしゃく」

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