Read Article

広告

アスペルガーと仕事。100社エントリーするも内定は0

広告

 

50代の男性にアスペルガー症候群の息子さんについて書いていただきました。

……..

アスペルガー症候群の人は、子供のうちは対人トラブルがあっても致命的な失敗にならずに済みます。
人間関係が単純なので許されることもあるからです。
しかし、高校生になり、大学生になり、それが複雑になると少しずつトラブルと「つまづき」が大きくなります。
大学の4年間が終わりいよいよ社会人になりますと、「人からのサービスを受ける立場(親や学校の援助、学割など)」から「人にサービスを提供する立場」に変化します。
「就職」はそれでなくてもたいへんですが、空気が読めないなどの性質を抱えるこの種の子たちがそういう立場になるので、本当にたいへんです。
何とか就職してからも致命的なトラブルを起こし、起き上がれないことがあります。

一般就労を目指して

アスペルガー症候群の息子の大学生活は親友も得て、サークルも掛け持ち、アルバイトもインターンシップも経験しました。
学業成績も良く、何の欠陥もない充実した大学生活を送り、いよいよ4年が経とうとしていました。
「高望みさえしなければそこそこの会社に就職できるのではないか?」とさえ、思っていました。
ただ、「通信制高校卒業」と「留年」だけはとても重くのしかかっていました(通信制高校へは普通高校からの転学(原因は不登校)。また薬の副作用の影響で1年間留年)。
いろいろな人から「関係ない」「気にしなくて良い」とは言われましたが、履歴書を見れば「普通に就労してくれるのか」と疑うのは必然です。
「高校転学の理由」「留年の理由」を2年がかりで考えたのですが、「アスペルガーだ」とは間違っても言えない現実を知っている親として、本当に2年間は毎日のように悶々としていました。
結局は整体で指摘された「体調不良」で説明させようと考えました。

就職活動

就職面接では落とされ続けました。
例えばグループディスカッションがあり、テーマはサッカー・ワールドカップでした。
これは最終面接に進む手前の段階でしたが、息子はワールドカップに一切の興味がなく、「本田がフリーキックを決めたこと」しか知りませんでした。
発言がほとんどできずに1人だけ浮いてしまい、地元の有望な会社に落ちてしまいました。
事前に、私は毎日毎日会社から一目散に帰って、息子と2人で面接の練習をしました。
「志望動機」「得意科目」「自己PR」から始まり「言ってはいけないこと」「面接官の心をつかむこと」、そして履歴書の添削。
発達障害の人は字がとても汚いと聞きますが、息子もそうです。
さらに文章にやたら句読点が多いので、履歴書やエントリーシートはしっかり添削のうえ、下書きもしてあげました。
インターネットでは100社くらいエントリーしたのですが、どこも内定せず終盤を迎えてしまいました。
ほとんど、履歴書で落とされるか、面接で自分の不利なことを正直に言ってしまって落とされました。
親子共々疲れ果てていたある日、私の取引先である地元の倉庫会社で面接を受けました。
元気良くハキハキと、面接を順調に終えようとしていたら偶然、私の会社の話になって会話が弾んだようです。
私も翌日、陰ながら採用をお願いしたところ、ついに内定を得ることができました。

就職してからのつまづき

倉庫会社に「物流マネージャー」として入って3ヶ月、社員旅行にも行ってとても順調でした。
ところが夏のある日、出勤途中で交通事故を起こしてしまいました。
こういう子にとって、「一度にいろいろ気を配らなければならない車の運転」はやはり苦手で、車しか通勤手段のない会社だったので半年掛けて2人で練習しました。
助手席に座って自動車学校の教官まがいのことをしたり、トランシーバーを使って追走したり、本当に良く練習しました。
そして「この通勤ルートを外れるな」と言い聞かせておきました。
ところが同期入社の女の子から近道を教えてもらって通ったところ、見通しの悪い事故多発の交差点でぶつかってしまいました。
ここからが大変でした。
なぜか精神の調子を崩して早退してきて次の日も休んでしまい、
しばらく会社に行けませんでした。
何とか会社に復帰しても今度は「事務職に就きたい」「税理士になりたい」と言って休んでしまう。
そうこうしているうちに簿記の資格の試験で「満点」で取ってしまい、もう心が税理士に飛んでしまいました。
運良く税理士事務所のアルバイトにも合格してしまい、親の力を借りて就職した倉庫会社を11ヶ月で辞めてしまいました。

最初から障害者枠を使わない

税理事務所にアルバイトとして入ってもうすぐ1年になろうとした12月、「年末調整」の仕事でどうしても分からないことが多々ありました。
上司は普段から怖い人で、さらに忙しくて質問もままならず、悶々とした毎日のようでしたが、ある仕事で突然「辞表」を書いて提出してしまいました。
あわてて菓子折りをもって取り消しをお願いに言ったのですが、取り合ってもらえませんでした。
その後は税理士事務所を何社も受けて運良く2、3社に勤めますが同じように辞めてしまいます。
途方に暮れていたところ最近できた「発達障害支援施設」が目にとまり、1年弱通所して訓練を受けました。
今は障害者手帳の交付を受けて福祉団体のバックアップで、大企業の障害者枠での就労をしています。
「そんな回り道をしなくても」とか「特例子会社の方が楽だ」とか思われるかもしれませんが、私は発達障害は「発達が遅いだけ」と考えているので、親が苦労してもまずは普通の経験が必要だと思っています。
隔離された「特例子会社」では一般社会に馴染めなくなると思っています。
親の死に物狂いの努力にも応えて、実際、息子は順応性が良くなっています。

特例子会社とは
従業員50名以上を擁する会社は、そのうち障害をもっている従業員を、従業員全体の2.0%以上雇用することが義務付けられている(重度障害者の場合は2名として計算される)が、特例として会社の事業主が障害者のための特別な配慮をした子会社を設立し、一定の要件を満たす場合には、その子会社に雇用されている障害者を親会社や企業グループ全体で雇用されているものとして算定できる。
このようにして設立、経営されている子会社が、特例子会社である。

wikipediaより引用

[参考記事]
「誤診による投薬で副作用。大学生になってやっと発達障害と診断」

URL :
TRACKBACK URL :

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

Return Top