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発達障害により「変な子」と言われ、二次障害によるうつ病を発症

 

この記事は40代の女性に書いていただきました。

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なぜ「私は悪い子」なのだろう?

 「あなたは育てづらい、宇宙人みたいに変な子どもだった」と母は言います。ひっきりなしにお喋りをしていて静かにしていることがなかったし、黙っていれば何かイタズラをしていたし、落ち着かない子どもだった、と。私は、いつも何かしら母に怒られていました。出かければ母のそばでじっとしていることなどなく迷子になり、1人で遊んでいる時に知らないところに歩いていって警察に保護されて帰ってきたり、家の中に泥団子を持ち込んだり、飴玉の紙を溜め込んでは床にばら撒いたり…。

 好きなことは他のことが分からなくなるくらい夢中になるのに、お手伝いをするときは上の空で、味噌汁のお椀を持ったままくるっとターンして盛大にこぼしたりしていました。母はその都度怒りましたが、私には何が悪くて怒られているのかが理解できませんでした。「悪いことをした」という自覚は何もなかったのです。ただ遊んでいただけで怒られる感じです。

 「ごめんなさい」とは言うのですが、母は私が何が悪いのか理解する様子がないのを感じて怒るのを止めるような状態でした。ここが母にとっては「宇宙人みたいに変な子」だったのでしょう。そんなわけで、いつしか「なぜだか分からないけれども私は怒られる。生きているだけでも怒られる」と、自己肯定感を失っていくだけになっていました。これが将来まで引きずることになる発達障害の二次障害の原因になっていくのです。

「変な子」と「いじめ」

 小学校にあがったら、今度は教師やクラスメイトとの関わりが出てきます。40年近くも前のことなので発達障害などという概念も無く、かといって知的障害があるわけでもない私は、当然のように普通学級で「変な子」として過ごすことになります。

 ここでもやはり、私は「なぜだか分からないけれども、みんなにいじめられる」子どもになりました。例えば、みんなが一生懸命掃除をしている時間に、私は窓の外の景色に気を取られてボンヤリしていたので、みんなに「サボらないでよ!」と抗議されたりしました。私としては、決してサボろうとしていたわけではなく、「ただそこに景色があっただけ」だったのです(何とも表現しようがありません)。

 このようにして周りと衝突をするようになると、どんどん自己肯定感が無くなっていき、何を喋っても、いや喋らなくても、一挙手一投足のすべてが「なぜか周りの気を悪くさせる」と思うようになりました。自分でも自分のことを「変な子」と思うようになったのです。

 そして、周りが少しでも私を攻撃しようものなら、怯えて泣き出すようになりました。いじめは小学校3年間(4年生くらいから)、中学校3年間の合計6年間続きました。

なぜ私は生きづらいのだろう

 大人になってからの私は、部屋を片付けることもできない「だらしない」人で、いつも自信が無く、自分がただ自分であることがとても辛い状況にありました。社会に出ても思うように仕事ができなかった私は、なんとか周りの期待に応えようと頑張って頑張って、頑張りすぎてうつ病を発症しました(この時にはうつ病が発達障害の二次障害とは気づいていません)。

 実は、仕事面での私の評価は、けっして低いものではなかったようです。上司は私に「頼りにしているから」と仕事を振ってくれましたし、同僚とは仲良くやっていました。ただ、私の中で、もっと仕事はできなくてはいけない、こんなではいけない、「できない」なんて言ってはいけない…そんなことを言ったら嫌われる、そう思い込んでいました…。「これだけのことをやっているのだから、私は私であっていい」という感覚が持てなかったため、常に役に立っている人でなければいつか嫌われてしまうと思っていたのです。

 二次障害の影響で自己肯定感があまりにも低すぎて、これを埋めようと仕事を頑張りすぎてしまったのです。結果としてうつ病は寛解と再発を繰り返し、仕事は辞めざるを得なくなりました。

ADHDという診断がついて

 あるとき、あまりにも部屋が汚いので自分に嫌気がさしていた頃に、「脳の機能障害で片付けるのが苦手な人がいる」ということを知りました。うつ病で通っていた医師にそれを伝えてみたところ、詳しく現況と幼少期のエピソードを聞かれ、「ADHDだと思う。うつ病は発達障害の生きづらさがストレスとなった二次障害」という判断をいただきました。正直なところ、診断がついてホッとしたところです。

 「なぜか悪い子、変な子」の「なぜか」は、いくら努力をしたところで分からなかったですし、いつも「なぜか」いじめられたり辛い思いをしていたりしました。その「なぜか」がやっと解明されたのです。私が変なのには理由があったと思うだけで、辛い思いをして生きてきた自分の人生にやっとOKが出せたのです。

 障害について理解のない人は「何でもかんでも病気だということにして、病名に甘えて努力をしない怠け者だ」と言うことがあります。しかし、例えば生まれつき脚の無い人に「速く走れないなんて努力不足の怠け者」とは誰も言わないでしょう。その人に必要なのは、速く走ることではなく、まずは障害があるなりに工夫して生きていくことです。

 私も、生まれつきの「癖」があると分かった上で、その特性を知り、うまく生きていく工夫をする…やっとそこにたどり着いた気持ちでいます。これからは、工夫をして楽に生きること、そしてそれができた自分に自信を持って、前を向いて生きて生きたいと思っています。

[参考記事]
「発達障害の「二次障害」とは何か。放置すると大変なことに」

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